大判例

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最高裁判所大法廷 昭和32年(あ)300号 決定

主文

本件上告を棄却する。

当審における未決勾留日数中六〇日を本刑に算入する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人松永光の上告趣意は、被告人から控訴申立後速かに裁判所に対し国選弁護人選任の請求をした(昭和三一年三月二三日)にかかわらず、控訴趣意書提出期間経過後第一回公判期日の前日(同年五月二二日)に至って、弁護人国選の手続がなされ、これがため弁護人は控訴趣意書提出の機会を与えられてなかったことは、憲法三七条三項に違反する旨主張する。

よって記録を調査するに、第一審記録末尾に編綴されている弁護人選任に関する回答書と題する書面によれば、被告人は昭和三一年三月二三日控訴裁判所に宛てて私選弁護人は頼まない旨の回答をしていることが認められ、論旨はこの書面による意思表示が国選弁護人選任請求であるというのである。

案ずるに、憲法三七条三項は「刑事被告人はいかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する」と規定しているのであって、被告人が自ら弁護人を依頼することができない場合に被告人から、国選弁護人選任の請求があれば、必要的弁護事件であると否とを問わず、その選任をしなければならないことは右憲法の規定の要請するところであり、刑訴三六条は右憲法の規定をうけて「被告人が貧困その他の事由により弁護人を選任することができないときは、裁判所は、その請求により、被告人のため弁護人を附しなければならない」と規定し、刑訴規則二八条は、「その請求をするには、その理由を示さなければならない」と規定する。すなわち、国選弁護人選任については、被告人の理由を付した選任請求があることを要し、その選任するや否やは裁判所が理由について、被告人が自ら弁護人を依頼することができない事情があるかどうかを判断して、その選任を決定するのである。かくの如く国選弁護人選任について被告人の理由を付した選任請求のあることを要するものとした右刑訴法および刑訴規則の規定は右憲法の趣旨に合致するものといわねばならぬ(昭和二四年(れ)第六八七号、同年一一月二日大法廷判決、判例集三巻一一号一七三七頁、昭和二五年(あ)第二一五三号、同二八年四月一日大法廷判決、判例集七巻四号七一三頁参照)。然らば、単に「弁護人を私選しない」旨の被告人の前記意思表示は、国選弁護人選任請求の意思も表示されておらず、また、何ら理由も付されていないのであるから、これを以って直ちに憲法の要請するところの国選弁護人選任の請求とみることは到底できないものと断ぜざるを得ない。もっとも本件は必要的弁護事件であり、弁護人を私選しないときは、裁判所で弁護人を選任しなければならないのであるが、だからといって、右弁護人を私選しない旨の意思表示を以って、憲法問題である国選弁護人選任の請求とみることはできない。けだし、必要的弁護事件における弁護人選任は純然たる刑訴法上の問題に過ぎないのであって、彼此混同を許されないからである(前掲昭和二五年(あ)第二一五三号事件判決参照)。

然らば所論違憲の主張はその前提を欠き、適法な上告理由に当らない。

被告人の上告趣意は事実誤認の主張を出でないものであって、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

よって同四一四条、三八六条一項三号、刑法二一条、刑訴一八一条により主文のとおり決定する。

この裁判は裁判官小谷勝重、同小林俊三、同池田克の各少数意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官小谷勝重の少数意見は次のとおりである。

原審は控訴趣意書提出最終日を「昭和三一年四月三〇日」と指定したこと、また被告人は裁判所よりの弁護人選任に関する照会に対し、「同年三月二三日」原審に宛て左の如く「私選弁護人は頼まない」旨の回答をしておることは、何れも記録上明らかである。

そして本件は必要的弁護事件であるから、右照会回答は刑訴規則一七八条同二五〇条の規定に依りなされたものであることもまたたしかであるといわなければならない。

そうすると、原審としては右回答あらば当然且つ直ちに国選弁護人を選任しなければならないものであり(刑訴二八九条、刑訴規則一七八条、同二五〇条)、また被告人側よりすれば右「私選弁護人は頼まない」との回答は「私選弁護人は選任することができないから、国選弁護人を附して貰いたい」との黙示の理由を附した国選弁護人選任の請求(刑訴三六条、刑訴規則二八条)と解すべきことは、本件照会回答の趣旨に照してまことに当然のことといわなければならない。

控訴趣意書の作成提出は控訴審における唯一にして無二ともいうべき弁護人のなすべき責務であるから、控訴趣意書提出期間を経過した第一回公判期日の前日たる「同年五月二二日」に至って国選弁護人を選任した原審の措置は、憲法三七条三項、刑訴三六条、刑訴規則一七八条に各違反した違憲違法のものといわなければならない(昭和二五年(あ)第二一五三号、同二八年四月一日大法廷判決、集七巻四号七一三頁参照)。

よって松永弁護人の違憲の論旨は理由があり、原判決を破棄し事件を原審へ差し戻すべきものと信ずる。

なお、附言す。本件は違憲の理由を別にするも、原審の措置は刑訴一七八条三項、同二五〇条に違反するものであり、そしてその違法は弁護権の行使を制限したものであって判決に影響を及ぼすこと明らかであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるから、刑訴四一一条一号により職権をもっても破棄差し戻すべきものと信ずる。

なお、以上の外、わたくしの意見の詳細は昭和三一年(あ)第三八四八号、同三二年六月一九日大法廷判決に付したわたくしの少数意見、並びに既掲昭和二八年四月一日の大法廷判決に付したわたくしの補足意見(集七巻四号七一九頁以下)を、ここに引用する。

裁判官小林俊三の少数意見は次のとおりである。

私は多数意見に反対である。多数意見の理由は、結局被告人が国選弁護人の選任を欲するならば、「理由を付した選任請求」をすることを必要とするところ、本件の場合は、被告人がかかる請求をしたものとは認められないから、憲法の要請する国選弁護人の選任請求があったとはいえないというに帰する。本件は結局、被告人の回答書(別項小谷裁判官の少数意見記載参照)をいかに解釈するかの問題にすぎないといえるが、最高裁判所が、なぜ多数意見のように、文言になじんだ窮屈な考え方をしなければならないか、その理由とか必要とかを解するにくるしむものである。

わかりきったことであるが、弁護人の制度は、いわゆる被告人の無罪の推定の原則に立って、被告人に裁判手続上あらゆる防御の方法をつくさせようとする目的から発している。被告人はもとより自から防御方法を行うのが本来であるが、現在のように訴訟手続が専門的に精密複雑化して来ると、素人であり、かついわば社会的敗者である犯罪者は、判断力も意思力もおおむね低いのを通例(拘禁されていればなおさらである)とするから、それは被告人にとって手に負えない仕事であり、ここに専門の法律家を弁護人として専心被告人を助ける制度が発達して来たのだということを反省してみるべきである。一体、審判手続が被告人に対して適正に行われることを確保する任務は、裁判所も検察官も同じくもっているのである。しかるにそれだけでは足りないとして特に被告人のために全面的な味方となる弁護人を附けるようにしたのは何のためであるか。これこそ被告人の多くの劣等面を補充し当事者として対等の地位に置こうとするためであって、弁護人制度を考えるときは、一応常にここまで戻ってみることが必要である。憲法三七条三項の前段は、このような、刑事訴訟における被告人の地位を人としての水準に引き上げて来た人間の努力の歴史的成果を明示したものにほかならない。このように考えてくると、右同項後段の国選弁護人の制度の意義も、おのずから明らかであって、被告人には常に弁護人が附いているのが本来であり、また被告人は常に弁護人の附くことを欲しているという、基本的な考え方に立っているのである。ただ現在の制度は、弁護人は、私選を原則としているから、まず被告人に私選するかどうかを問い合わせているにすぎない(この点について後記引用の判例における私の意見参照)。そして被告人に私選の困難な事情がある場合に、国費で弁護人を附けるのは、いわゆる「法の慈悲」という面もあるが、真実は右のような基本的な意義に立っていることを認めなければならない。だから被告人に弁護人を私選できない事情があり、私選しないからといって、直ちに被告人は弁護人の選任を欲しないなどときめられないことはもちろん、このことから弁護人なしで審判を行うことも本来の正しい形であると逆説することも許されないのである。国選弁護人の制度はむしろ積極的な面をもっていると解して運用に過誤を生ずるおそれはなく、仮りにあっても、それは反対に消極的にすぎることによって生ずる過誤に比べて採るに足りない。

次に本件の回答書の解釈についてであるが、多数意見が拘禁中の被告人の現実を無視した結論について強く抗議をしておきたい。本件において勾留中の被告人が出した回答書は、別項に示されているように、裁判所から送って来た不動文字のある回答用紙によったので、それには「私選弁護人は頼まない」と「私選弁護人は 月 日選任した」との二つのいずれか一つを答えるようになっているだけで、国選弁護人の選任を欲するかどうかを答える文言は刷ってない。だから被告人はおそらく費用などの理由から、指示のとおり「私選弁護人は頼まない」方に〇印を附して答えたにすぎないのである。しかし上訴をしている以上、ふたたび二審の公正な審判を受けたい意思であることは明らかであり、従ってそのために弁護人の選任を欲する意思のあることも当然推認し得るところである。もしこの点に疑問があるならば、裁判所は、被告人に重ねて弁護人の国選を欲するかどうかを確かめるべきであった。裁判所が本件のような回答用紙を送っておきながら、なお国選については、「理由を付した選任請求」書を別に自から作成して裁判所に提出することを要求するのは、刑務所に拘置されている多くの被告人の能力とその実状を無視した難題ともいうべきものである。多くの実務例として、裁判所が、私選と国選の双方について納得のいく照会文とこれに対応し適確な回答ができるような文言を印刷した回答用紙を被告人に送っているのは、右のような被告人の実状に即した当然の措置にほかならない。これに対し、このような用紙の送付は、裁判所の好意にすぎないとし、被告人の権利は被告人自から正規の形式を履んで行使すべきであるというような公式論を貫くならば、折角の国選弁護人制度も、結局意義のとぼしい形式的なものになってしまうであろう。されば本件の場合、すべての事情を考慮に入れれば、被告人の回答は、同時に国選弁護人の選任を求める趣旨であると解するのが相当であり、またかく解することによって何の障害も生じようとは思われない。要するに国選弁護人の制度は、常にこれを活用すべきであって、惜しむような考え方に立つべきでないことを強調したい。

なお、刑訴法、刑訴規則の各該当法条については、別項小谷裁判官、池田裁判官の各意見に示されているからここには省略する。また昭和二五年(あ)第二一五三号同二八年四月一日大法廷判決に述べた私の意見(集七巻四号七二九頁以下)をここに引用する。

裁判官池田克の少数意見は次のとおりである。

控訴の審判について準用される刑訴法二七二条、刑訴規則一七八条(刑訴法四〇四条、刑訴規則二五〇条)は、いずれも憲法三七条三項の弁護人選任権を実質的に保障するための規定であって、控訴裁判所は、訴訟記録の送付を受けたときは、右条規所定の告知並びに処置をしなければならず、必要的弁護事件であって弁護人の選任がないときは、直ちに被告人のため弁護人を選任しなければならないのである。

ところで、本件につき右の点に関する裁判所の取扱いが如何になされ、又、被告人の回答が如何になされているかを調査すると、本件は、もとより必要的弁護事件のことでもあり、控訴裁判所において被告人に対する弁護人選任権の告知並びに弁護人選任確かめの処置が執られるべきであったのであるが、第一審判決言渡後被告人から控訴申立があった際弁護人の選任がなされていないこと及び第一審記録末尾に被告人の「弁護人選任に関する回答書」が編綴されているところからみると、異例の取扱いというべきではあるが、控訴裁判所がなすべき右告知並びに処置を、第一審裁判所において便宜の取扱いとして執ったことが窺われるところであって、その取扱いの適否は、しばらく措くとしても、右回答書は、裁判所用紙を使用したものであり、回答方式も、すべて第一審裁判所の定めるところに依ったものであることが明らかである。従って、第一審裁判所から弁護人の選任に関する照会を受けた被告人としては、右回答用紙に記載されている「私選弁護人は頼まない」とある個所に〇で囲むことという指示のとおりにすれば、国選弁護人選任の請求の意思を明示しなくとも、又、その理由を附さなくともよいと考えることは、当然であるばかりでなく、第一審裁判所においても、右の如き方式による回答用紙を使用した点からみると、必要的弁護事件の国選弁護人請求の方式としては、それを以て足りるものと考えたものであることが推認されるところであり、国選弁護人選任の請求方式違背の責を、被告人に帰せしめることは相当でない。してみれば右回答は被告人において必要的弁護事件である本件について国選弁護人の選任を請求したものと解すべきであるから、原裁判所としては直ちに被告人のため弁護人を選任し十分控訴趣意書作成の機会を与うべきであるのに、控訴趣意書提出期間経過後になって始めて弁護人を選任した原裁判所の措置は、必要的弁護の制度を設けた刑訴法の精神に反し違法といわなければならない。そして右違法は原判決に影響を及ぼすこと明らかである。よって原判決を破棄し事件を原裁判所に差戻すべきものと思料する。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔)

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